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掲載日
2016年2月2日更新

図1日高ヒスイ産出地Dr. Bamba

 日高翡翠は30年ほど昔のことになりますが、函館市在住の資産家、久保内貫一さんが日高山脈には緑の石が多いからここには必ず翡翠があると信念を燃やし、日高町在住の村上晃さんに翡翠を見つけるよう要請したのがことの始まりでした。それから2年後の1966年、幸いにも、千露呂川の支流、ペンケユクトラシナイ沢に翡翠様の石が発見され、折から来日中のアメリカ地質調査所のコールマン博士と北大の八木健三博士とが問題の露頭を見て、「軟玉ひすい発見」という記事を北海道新聞に寄稿したのだと聞いております。
 国の地質調査機関である地質調査所北海道支所にとって、このことは寝耳に水のことでした。調査所として早速専門家を現地に派遣して、実態を把握すると同時に問題の翡翠の性状を明らかにすることになったのであります。このとき調査に当たったのが当時鉱床課長だった私でした。
 調査結果は図1、図2に、鑑定の結果は図3、図4および表1、表2、表3に示ました。これらの研究から問題の翡翠はクロムを1%含む透輝石であることが分かったのです。この石には織物構造が大変卓越していることから、この石の性質は強靭でいろいろの細工に耐えうる翡翠と断定することができたのです。
 翡翠というものは本来、硬玉と軟玉との2種類があって前者はヒスイ輝石(jadeite)からなり高価です。一方、後者は角閃石からなりネフライト(nephrite)と呼ばれています。今回発見された日高ヒスイはクロム透輝石からなるので、ヒスイの新種なのです。
 この宝石が国際的に認定されるためには正規の機関で石の性質が記載され公表されなければなりません。たまたま日本宝石学会会長の砂川一郎氏はこの翡翠の記載を宝石学会誌に公表するよう私に求めてきました。その結果、日本宝石学会誌〈1980)7巻1号に5頁にわたって『北海道千栄産クロム透輝石ヒスイ』と題して公表されました。このことを通して日高ヒスイは国際的に公認されることになったわけであります。