ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
Menu
背景
文字サイズ
現在地

本文

掲載日
2016年2月2日更新

8月5日 石を見に行こう(2) 黄金道路

襟裳岬から広尾町への海沿いの国道は通称「黄金道路」と呼ばれます。難工事で黄金を敷き詰めるほどお金がかかったことからつけられた名前だそうです。波が高いと潮をかぶり、悪天候時には通行止めになります。それだけ海が近いわけで、好天時はすばらしいドライブコースになります。ここでは日高山脈を作っている変成岩の「もと」をみることができます。でもわき見運転はしないでくださいね。

【中の川層群】

道路沿いの崖でいちばんよくみられるのが「砂岩と泥岩の互層」、あるいは「それらが焼けた地層」です。このあたりの砂岩や泥岩は、まとめて中の川層群という名前で呼ばれます。中の川層群は日高山脈の東のふもとに広く分布しています。山の西側の石と違って、堆積後に構造が壊されたあとがあまりありません。化石もあまり含まれていません。おそらく海溝付近の海底に堆積してできた石なのでしょう。

【焼かれた石の山】

その中の川層群の砂岩や泥岩が、山へ近づくにつれてだんだん"焼かれて"きます。どこかを境に急に温度が変わるわけでもなさそうで、山へ向かうにつれて高温になったということのようです。そのため、日高山脈の石はもともと中の川層群と同じ石でできていて、広く熱を被ることで変成岩に生まれ変わったのだと考えられるようになりました。

【焼かれた経過を見よう】

黄金道路を広尾町からえりも町に向かって走ってみます。広尾の町の近くは生っぽい砂岩や泥岩です。えりも町に向かうにつれて、だんだんと高い温度を経た石に変わっていきます。音調津を過ぎると日高変成帯(日高山脈を主に構成する石)に属する花崗岩類やはんれい岩類などの深成岩の崖が見えるようになります。ちなみに、花崗岩類や変成岩類は日高山脈の高いところではよく見られますが、海沿いで見られるのは庶野の南の海辺(約2km)だけです。

▲ページトップヘ
▲迷走記タイトルヘ


8月12日 日高山脈ネイチャーセミナーの紹介:チロロ岳登山

日高山脈ネイチャーセミナーは山脈館主催のセミナーで、今年度から月一回ペースで開催しています。今月は8月5日-6に「地質と高山植物を見よう」というテーマでチロロ岳登山を実施しました。かんらん岩地帯には特有の植生が見られることを確かめる予定だったのですが、悪天候のためゆっくり確認するには至りませんでした。(以下、当日の様子の紹介をしました)

▲ページトップヘ
▲迷走記タイトルヘ


 

8月19日 石を見に行こう(2) 広尾町・大丸山森林公園

広尾町に大丸山という山があります。公園として整備され、12000本以上のつつじや、遊歩道、トナカイ牧場などいろいろあります。冬は「サンタランド」広尾町のシンボルゾーンとして幻想的な雰囲気をかもし出します。ここは小高い丘になっていて、展望台から町全体を見渡すことができます。この丘が「南方の深海底でできた大岩」だ、というお話です。

【ちょっと周りと様子が違う大丸山】

日高山脈は、東側の山麓にある砂岩や泥岩がもとになってできています。東側の堆積岩は海溝付近に積もった砂や泥が固まったもので、大型化石はあまり含まれず、岩に力が加わった様子もほとんどみられません。しかしその中でも様子が違う場所があり、そのうちのひとつが大丸山付近です。

【メランジ】

大丸山付近はメランジという地質構造です。メランジとはもともとフランス語で「混ざったもの」という意味です。地質学では、地図スケールでみたときに各種岩塊とそれを包み込む石が確認できる地質体のことをメランジと呼びます。ちょうどカレーのルーと具のようなものです。大丸山周辺の場合はルーが泥岩、具が火山性岩やチャート、石灰岩などです。これらの具はみな深海でできた石です。ルーの泥岩は、岩ができたときの断層運動でかなりグサグサになっています。これらは海のプレートが陸のプレートの下に潜っていく地球規模の運動と関連しています。海のプレートが海溝から潜るあたりで形成されたのでしょう。大丸山は火山性の大岩が山になっています。

▲ページトップヘ
▲迷走記タイトルヘ


8月26日 石を見に行こう(2) 忠類ナウマン象記念館

忠類村の道の駅にナウマン象の博物館があります。象をかたどった建物です。中に入ると復元された象の骨格(肩のいちばん高いところで高さ2月4日m)が中央に展示されていて迫力があります。

【象のいた時代】

昭和44年の夏、農道工事の際に偶然発見されました。推定「大人のオスで24歳前後」。象が生きていたのは、植物化石や花粉化石、火山灰の年代測定から約12万年前、最終氷期が始まる前の間氷期とみられます。ブナが生育していたので、現在と同じかやや暖かい気候に変わりつつあったのでしょう。泥炭層に埋まっていて、川沿いの沼で増水時には水浸しになるような地域だったようです。

【発掘】

まずさいしょに硬いものが2個掘り出されました。「岩石じゃない。しかも回りの土が臭い、肉が腐敗したような臭いだ。」それをみていた助手は中学校を出たての若者でしたが、彼が「教科書で見た象の歯の化石だ」と発言したことが発掘のきっかけとなりました。たまたま隣町で地質調査が行われていて、お盆に載せて運び込まれた「歯」は議論の対象となりました。そこで1ヵ月後、1年後と発掘が行われ、結局骨格の80%が見つかることとなりました。骨には肉こそ付いていなかったものの、表面や割れ目には油状の物質が残っていました。これらの分析で、アミノ酸や動物性のコレステロールなども検出されています。象が皮膚や筋肉などをつけたまま埋没したからです。

【臨終の様子】

骨の配置具合から、この象は後ろ足が泥炭土にぬかって埋もれ、前足で起き上がろうと努力したものの埋没していったと見られます。おそらく泥炭地に水を飲みにきた象が、沼地に足を取られて這い出ることができず命を落としたのでしょう。想像を掻き立てられる化石です。

▲ページトップヘ
▲迷走記タイトルヘ