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掲載日
2016年2月2日更新

7/1(土) 石を見に行こう:チロロの巨石

アナウンサー:和田さん

さて、気候もよくなり行楽に出かける機会も増えるシーズンになりました。通りがかりでも、キャンプなどでアウトドアにお出かけの際でも、石を眺めてみるのはいかがでしょうか?今日はチロロの巨石についてお話しましょう。

【場所】

日高町千栄(ちさか)地区です。
国道274号線沿いの千栄地区から、チロロ林道方面へ曲がります。“イザワ釣堀”の看板の方向へ向かっていくと、7kmほどで右手に巨大な石が登場します。

【由来】

栗林さんという方がもって帰ろうとした石です。
栗林さんは札幌で私立の学校を経営していました。鉱石収集が趣味で、1965年頃から日高山脈の銘石を掘り出すために千栄に通われていました。チロロの巨石は1974年頃にチロロ川支流から掘り出されました。しかし重さが200トンにも達し、山中から現在の設置場所まで運ぶだけでも500万円はかかったと言われています。ここから先は橋の重量制限があったために運び出せず、泣く泣くその場に置いたままになっていました。栗林さんはその後1977年にお亡くなりになりました。

【石の特徴】

近寄って見てみると、場所によって、縞っぽく見えたり、かけら状の石が集まっていたり、あるいは白い縞がずいぶんとくにゃくにゃ曲げられていたりしています。巨石はあまりにも大きいので、いろいろな起源の石が混ざっているのです。しかし全体としてみると、チロロの巨石は変成作用を受けた「変成岩」になります。
原岩は以下のようにできたと考えられます;

  1. 海底で溶岩が噴出します。周りの海水で急に冷やされるため、バラバラに分解しながらあたりに降り積もります。これらはやがて硬い石になりました。・・・かけらが集まったように見える部分は、割れた溶岩のかけらである玄武岩が集まっている部分です。
  2. 溶岩のかけらでできた石は、海溝付近で砂や泥といっしょにクラッシュされ、潜っていく海のプレートに押し付けられて陸地にくっつきます。陸地を太らせる大きな要因です。このようにしてできる地質体を付加体と呼びます。
  3. 付加体の一部はさらに地球内部に持ち込まれていきます。地球の内部では圧力がかかるので、鉱物が圧力に対応して変化し、変成岩が作られます。北海道には同じようにしてできた変成岩体が南北に分布していて、神威古潭帯と呼ばれます。チロロの巨石を含む変成岩類は、蛇紋岩に包まれるように地球深部から持ち上げられてきたのだと考えられています。

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7/8(土) 石を見に行こう:千鳥ヶ滝

アナウンサー:和田さん

日高からちょっと離れますが、夕張に素敵な場所があるのでご紹介します。

【場所】

国道274号線沿いで栗山と夕張の境界付近、JR滝ノ上駅そばです。発電所のレンガの建物が残っていて、周囲は公園としてきれいに整備されています。
千鳥ヶ滝の下流側に橋がかかっていて、ここから滝の様子をじっくりみることができます。板状に何枚も何枚も重なった地層が斜めになっていて、その切り口部分を水が流れていきます。

【特徴】

地層の部分をよく見ると、出っ張った部分と引っ込んだ部分があります。これは砂岩の層と泥岩の層があるためです。構成している粒が細かい方が水で削られやすいので、泥岩の部分が削られてへこんでいるのです。

【砂岩と泥岩の縞々地層・・・その生い立ち】

砂岩と泥岩が規則的に繰り返す地層は、日本では割と普通に見られます。皆さんの身近にもきっとあると思いますが、有名なところではたとえば宮崎県青島の海岸線、通称“鬼の洗濯板”などがあります。
このような地層は海底で土石流が繰り返し起こることで作られます。地震などをきっかけとして、海底斜面でがけ崩れが起こります。崩れたがけは周りの水を巻き込みながら土石流(乱泥流)となり、さらに深い場所である海溝を目指して流れ下っていきます。土石流はそのうち勢いを弱め、重い粒子から海底に落として積もらせます。最後に軽い泥の粒子が、より上位に、あるいはより遠くに運ばれて海底に堆積します。このように、1回の土石流で砂岩~泥岩のセットが降り積もります。砂岩・泥岩のセットが何重にも重なっているということは、すなわち土石流が何回も繰り返して起こったことをあらわしています。

【地層が傾くわけ】

千鳥ヶ滝の地層はたいへん傾いています。地層というものは、基本的にはほぼ平らなところに堆積物が降り積もってできるものです。これがこんなに傾いているということは、地層ができたあとに何らかの力が加わって変化したことを表しています。
これまで何度かお話したとおり、道東から日高山脈、夕張の方面には、東側から力がかかって地面を圧縮する動きが生じています。夕張を含む日高山脈の西側は、この押しの力のせいで断層や褶曲が発達しています。千鳥ヶ滝の地層が傾いているのも、同じ東からの押しの力が働いたためです。なお、ここの地層が作られたのは、日高山脈が山になり始めたかどうか?という頃だと思われます。

夏の今頃もよいですし、紅葉時期はまた美しい風景を見られます。ぜひ一度訪ねてみてください。

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7/15(土) 石を見に行こう:波の化石

アナウンサー:和田さん

日高町内で、“波の化石”と呼ばれる石を見ることができます。

【場所】

日高町内には国立日高少年自然の家という施設があります。ここの裏手から、サンゴ渓谷と呼ばれるハイキングコースがあります。ここはもともと「三号の沢」という名前でしたが、サンゴの化石が見つかったこともあって「サンゴの沢」と呼ばれるようになりました。

【地質の成り立ち】

付近では、新生代新第三紀(2000万年くらい前)にできた砂岩や泥岩が見られます。さらに足を進めると、白亜紀(一億年前頃でしょうか)に作られた砂岩や泥岩を見ることができます。1時間ほど歩くとサンゴの滝が登場しますが、このあたりでは付加体に付加した緑色岩や、蛇紋岩を拾うことができます。

【特徴】

さて“波の化石”は、サンゴ渓谷の入り口付近にあります。新生代新第三紀に作られた砂岩です。
ちょうど海水浴のシーズンですので、砂浜の広がる海に行かれましたら、波打ち際で水の中を覗いてみてください。規則的な凸凹が続いているのが見えると思います。このような水底の模様は川でも見ることができます。この凸凹は流れのタイプや方向、速さ、地面の傾斜度合いなどに左右されてできる模様で、漣痕(れんこん。漣=さざなみの痕跡の意。)やリップルマークという名前がついています。
普段から波打ち際には漣痕がついています。嵐が起きて波が荒くなると、普段はつかないようなより沖合いの海底にも漣痕がつきます。荒波で削られた砂浜の砂が沖へと運び去られ、漣痕の上に降り積もります。このまま漣痕は埋もれてしまい、砂岩の一部となるのです。
"波の化石”といっても、岩の断面方向から見ていたらよくわかりません。たまたま堆積した平面が見えていると、誰が見ても「ああ、波の化石ね」というわかりやすい地層になるわけです。
波の化石として、徳島県宍喰町には高さ30m、幅20mという大きなものがあります。国の天然記念物に指定されています。

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7/22(土) 石を見に行こう:枕状溶岩

アナウンサー:和田さん

海底火山の噴火で噴出した溶岩が沙流川の河原にあるんだよ、といったら驚かれるでしょうか?今日は沙流川の河原沿い(平取町)にある枕状溶岩をご紹介します。

【場所】

日高町に程近い平取町内、岩知志発電所付近の河原です。ただここは河原に下りるのにちょっと手間がかかります。山登りその他でアウトドアには慣れている、という方でないと難しいかもしれません。自信のない方は、申し訳ありませんが「そんな場所もあるのか」というお話としてとどめておいてください。

【枕状溶岩って?】

英語でpillow lavaといい、西洋の長細い枕に形が似ていることからこの名前が付けられました。日本語訳されたのが「枕状溶岩」です。
溶岩はとても熱いものです。しかし海底で噴火が起こると、周りの海水に接した部分だけが急冷されます。また液体状態で噴出する溶岩は、表面張力の働きで丸くなります。するとフランスパンの皮のように、丸い表面だけがパリっと固まります。
さらに溶岩はうしろからどんどん供給されます。水に触れた外側こそ固まってしまったものの、中はまだあんこ状態のままである熱い溶岩は、ちょうど歯磨き粉のチューブを絞るのと同じように中身だけ搾り出されます。先端の皮だけを突き破って溶岩が伸びていくのです。その結果、長い枕のような形をした溶岩の塊が誕生します。

【特徴】

沙流川の河原では、“枕”が広がっている河川敷と、“枕”が俵のように積み重なっているがけを観察することができます。溶岩が流れ出したときの面が、現在の河川敷に対してほとんど傾いていないため、まるでこの河原で溶岩が直接流れ出したようなリアルなイメージを持つことができます。また、がけでは“枕”がやわらかいうちに積み重ねられた様子がたいへんよくわかります。というのは、枕の上半分は丸いのに、下半分はすき間に垂れ下がる形をしているのが非常にわかりやすいのです。

【どうしてここに溶岩があるのか】

以前お話したとおり、日高山脈は溶岩を噴出する火山ではありません。
日高山脈ができる前(一億年くらい前でしょうか)、このあたりは海に覆われていました。ずっと南方の海では海底火山の噴火が起こっていて、噴出した溶岩は海のプレートに乗ったまま今の北海道の場所まで運ばれてきたと考えられているのです。

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7/29 石を見に行こう(1) 三石・蓬莱山

三石川をはさんで両側に蓬莱山という名の大岩があります。付近は公園になっていて、三石のシンボルとして親しまれています。7月はじめにお祭りがあって、おみこしの川渡りなどが見られます。

【角閃岩と蛇紋岩】

蓬莱山は角閃岩でできていて、周りには蛇紋岩が広がっています。 蛇紋岩は変成岩の一種ですが、もともとはかんらん岩です。ぬめぬめしていて動きやすく、トンネル工事の現場などでは対策が大変で嫌がられます。地球規模でみても動きやすい岩石で、深い断層が発達する構造帯では深部から蛇紋岩がニュルニュルと上がってくることがあると考えられています。上がってくるときに周りの石を包んで持ち上げてくることがあり、蓬莱山の場合は角閃岩を包んで持ち上げてきました。包まれて持ってこられた石ももともとは、深いところにあった石なので、変成作用を受けていることが多いです。

【神威古潭構造帯】

蛇紋岩とそれに包まれて地上に出てきた石、という組み合わせはほかにもあります。花の山として有名な夕張岳もそうです。このような「蛇紋岩と、高い圧力を受けて(=深いところにあって)変成岩となった石」の組み合わせが分布するところは、道内を見回すと帯状に分布しています。三石~沙流川流域、夕張岳、神威古潭峡谷、幌加内、猿払などを通って、さらにサハリンまで続きます。三石より南方、つまり太平洋にも分布が続いていると考えた研究者もいます。この長いつながりの地質帯は、神威古潭構造帯と呼ばれます。神威古潭構造帯でみられる変成岩は日高山脈で見られる変成岩とはまた違ったタイプの変成岩です。

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