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一般に石材として使われるのは大理石、御影石、日本では普通に見られる安山岩、凝灰岩、砂岩などが多いでしょう。求められるのは美しさ、強度、風化への抵抗性、耐熱性、採石や加工のしやすさなどです。今日はこれら石材のうち大理石と花崗岩、そして日高でも見られる蛇紋岩のことをお話しましょう。
石材といえばまず外せないのがこの大理石です。一般に緻密で、磨くと美しく、ある程度光を通します。適当にやわらかさも持つので彫刻用にも用いられます。地質的にいうと、大理石には2種類の石が含まれています。石灰石と、石灰石が焼かれて大きな結晶になった結晶質石灰岩です。厳密に大理石というと焼かれた方のみを指すのですが、石材としていう場合はどちらも含まれます。日本でも各地で見られますが良質のものは少ないです。イタリア産がもっとも良質とされます。赤や緑などの色は、少しだけ含まれるほかの成分の影響です。
御影石とは花崗岩の別名で、もっとも大量に、また広く利用されています。全体に白っぽくて粒の粗い深成岩で、所々に黒雲母などの黒っぽい鉱物がごま塩状に入ります。大理石と同様、緻密で磨くと美しいです。耐久性もあり、大きな塊として採石できます。
この二つは耐熱性が違います。大理石はやわらかそうで火にも弱いのでは、と思わせて実はこれが逆なのです。大理石は、主鉱物である方解石が約800℃まで耐えられるので、断熱材に使われることもあります。一方御影石は、主要鉱物のひとつの石英が耐えられません。石英は600℃近くなると結晶の構造が変わり、ひどく膨張します。そのため緻密な岩石である花崗岩はその膨張分を支えられず、崩壊してしまいます。
蛇紋岩は北海道にも分布しますが、一般に大きな断層帯などに見られるため割れている場合が多いです。でも、一部には石材として利用できるほどの規模で塊状に分布する場合があります。緑色で、磨くと美しい光沢のある模様が見られます。特に蛇灰岩(じゃかいがん)と呼ばれる石は、緑色の石の中に方解石からなる白い網状の脈が発達し、美しくて珍重されます。札幌のビルで見かけましたので、きっと皆さんも目にされていると思います。
その他、「隙間の多い石は保温性がある」など、特徴がそれぞれあります。人工的に作られた建材もありますし、街中で壁や柱を眺めてみるのも楽しいものです。
神社にある狛犬。これが特別石である必要はなかったらしいのですが・・・今日は狛犬の紹介です。
ある国語辞典によれば、「コマ=高麗」からきた犬の意で、神社の拝殿の前に向かい合わせておいてある魔よけの犬」とありました。もともとは古代オリエント・インド方面が起源といわれます。当時オリエント諸国では王や紙の守護神としてライオンが珍重されていました。これが大陸から朝鮮半島を通って日本に伝わりました。ただし、当時の日本人はライオンを見たことがありませんでした。だから犬と勘違いしたという話もあるし、知らないからこそ個性的な狛犬が生まれたという解釈もされています。これが日本の文化(宮中文化や仏教文化)と結びつくことで、今のような特徴が生まれました。
大きな特徴は「阿吽(あうん)」といわれる、口を閉じているか開いているかの様子です。阿吽はもともとサンスクリット語から来ていて、最初の音(ア)と最後の音(ウン)のことです。つまり物事の始まりと終わり、ひいては全宇宙そのものをもあらわす壮大な思想です。それを口の形で端的に表してしまったのが「阿吽」です。
向かって右が獅子(ライオン)で、阿の口・・・つまりあけている口です。左は犬で、吽の口・・・閉じている口になります。ほかにも、獅子は巻き毛だったり耳が垂れていたりし、犬は角があってストレートヘア、というようないくつか違いがあります。どっちがオスだとかメスだとかいう様式もあとから出てきました。
伝わってきてしばらくは屋内の天皇のいるところで魔よけに使われたり、神社や寺院の中に置かれたりしたため、木で作られることも多かったようです。これが表に出るようになったのはかなり経ってから、どうやら江戸時代あたりのようです。石の狛犬が本格的に登場するようになるのはおそらくこの頃でしょう。獅子と犬の区別もあいまいになってきました。なお関東地方は伝統的に小松石と呼ばれる安山岩が使われます。
また、神社にはおきつね様の像があることがあります。しかしぴんとした尻尾など、狛犬に比べると壊れやすいようです。またキツネは馴染み深い動物であるがゆえに、狛犬よりバリエーションに乏しい傾向もみられます。また、狛犬を掘れる技術を持った職人さんはやはり減っているのが現状です。
石造りでアーチ型をした橋があります。有名なものも多いです。水面に映った橋の姿が眼鏡に似ているために「眼鏡橋」の名がつきましたが、今は2連でなくても眼鏡橋(車橋、太鼓橋)と呼ばれます。
長崎の市街にも眼鏡橋があります。観光名所で、1634年に作られました。日本の石橋のルーツはこの頃の話らしいです。起源は中国かヨーロッパか、説が分かれています。この眼鏡橋は二連アーチでまさに眼鏡。この川には14の石橋群が健在だったのですが、1982年の大水害で大半が破損し、現在は眼鏡橋を含めて3つを残すのみです。
九州は台風が多くて暴れ川が多く、たびたび流される木の橋に代わる丈夫な橋が望まれていました。また、加工に適した石材が豊富に存在していました。そういうわけで九州では石橋が発達したようです。なぜか本州にはほとんど見当たりません。また眼鏡橋の北限は山形県だそうです。
セメントや漆喰、ボルトといった補強材は一切使われません。頑丈な基礎の上に、正確に切り出されたアーチ石を積み上げます。支えになるのは自らの重さと摩擦力だけで、車が通っても大丈夫です。コンクリートの橋は寿命がきますが、石橋は壊さない(壊れない)限り使用可能です。
北海道はやはり新しい橋が多く、石橋はあまり無いようです。似たものとしてひとつだけ紹介すると、士幌線のアーチ橋でしょうか。1930年代末に開通、第二次世界大戦前と後に分けて、アーチ型のコンクリート橋が大きなものだけでも15ほど作られています。このような大型のコンクリート橋は、道内では初めて、全国でも初期のものです。アーチ型にしたのには、急勾配だった、渓谷沿いだった、など理由があるのでしょうが、設計者の頭にも九州のアーチ型石橋が思い浮かんでいたのではないでしょうか。
日本では古くから「自然を肯定し受け入れる」自然観を持っていました。自然そのままの姿が美に通じる面がありました。しかし時代が進むにつれて、自然の真っ只中で暮らすことはかなわなくなってきています。そこで、身近に小さな自然、象徴の自然を作って鑑賞し、自然との一体感を味わおうとしたのでしょう。石をめでる趣味というものがあります。石の形が山に見えたり、鉱物の具合が花のように見えたり、よく見れば確かに面白いものがたくさんあります。
傾向としては、好まれるのは暗い色合いで、硬い質感を持った石が多いようです。中国の水墨画は山などの自然を主題に描かれますが、どうもその山の岩肌が「暗い色をした硬い岩石」のように見えるのです。日本ではこれを再現できる石がたくさんありましたから、中国文化へのあこがれなども絡んで暗くて硬い石が好まれるようになったのでしょう。ついでながら、山は「雲の根っこ」という字があてられていて、雲=ひいては万物の命を生み出す雨のもとであると考えられていました。
現代ではストーンペインティングなど、石の中に風景を見出す精神は受け継がれているような気がします。小さい子は飽きることなく石を眺めていることがありますが、どんな光景が見えているのでしょうね。