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2001年11月4日(日曜日)
講師:小野昌子(日高山脈館学芸員)
勾玉とは、縄文時代の終わり頃から古墳時代くらいに作られていた装飾品です。ヒスイやメノウなどのいろいろな素材が使われました。現代だとパワーストーンを売っているお店でいろんな材質の勾玉が売られていますね。今回はそれぞれ一つづつ、自分の手で石を磨いて作りました。
まず最初に勾玉の由来について作成した資料(協力=沙流川歴史館)をお配りして説明し、沙流川歴史館からお借りしてきた実物の勾玉(縄文時代の遺跡から発掘された品)を観察しました。
今回は細工しやすい滑石を使用しました。四角い石に作りたい形を書き、削り始めます。みんな一所懸命。
丁寧に磨いていきます。
完成後にみんなではい!
今回は市販されているキットを使いました。
キットによって紙やすりの細かさに多少違いがあるようです。目の荒い紙やすりで大まかに形を作ったあと細かいやすりをかけていきますが、最終に#1500までかけた方がきれいでした。
ヒスイ(硬玉)、碧玉、メノウ、滑石、粘土、ガラスなど。
※日高ヒスイ製はまだ見つかっていません。しかし浦幌町で見つかった7000年前のネックレスは日高ヒスイ製です。
縄文時代のおわり頃(3000年くらいまえ)から。いちばん使われたのは古墳時代です。
たとえばヒスイの場合、原産地新潟県(糸魚川市姫川)にはおおきな職人村があって勾玉がたくさんつくられていました。ただ原料のヒスイや勾玉は東日本全体へはこばれていたので、きっと各地で勾玉を作っていたことでしょう。同じように、いろいろな素材の勾玉が各地で作られていたのではないでしょうか。
もともとはイノシシの牙で作っていて、のちにきれいな石でつくるようになったから、という考えが有力です。
☆山脈館注:イノシシの牙説以外にも、胎児や三日月、肝臓などの形を真似たのだという意見もあるようです。
恵庭のカリンバ3遺跡では、縄文時代後期のお墓から勾玉が出てきました。ほかにもいろいろな種類のアクセサリーが見つかったので、シャーマン(巫女さま、見えない世界とお話ができる人)がいてこれらを使っていたのかもしれません。
ただしとくべつなお墓以外でもみつかっていますので、タマサイのようにみんながだいじなものとして使っていた可能性もあります。
一度にたくさんみつかることはないので、何十個もぶら下げるようなことはしていなかったでしょう。少しずつ、ペンダントやイヤリングに使ったのではないかしら?
むかしは鉄製品がありませんでした。穴をあけるのは竹ひごのようなものと研磨剤を使っていたようです。磨くのは砥石(玉砥石という専門のものもあった)です。
特に古墳時代以降、勾玉はとてもだいじなものとされてきました。もしかしたら、むかしからあの形そのものにパワーがあると考えられてきたのかもしれません。
☆山脈館注:石そのものにパワーがあると考えられてきた可能性もあります。
子供たちはほとんど午前中だけで完成。マジックで色をつけてもきれいです。
今回のセミナー参加者=23名(大人7名、子ども16名)、
講師=1名、スタッフ=3名。