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2000年6月30日(金曜日)-7月16日(日曜日) 山脈館2F特別展示室
登山家 岩崎元郎さん(左)たち来館時の見学風景から。
日高山脈北部の名峰芽室岳(1754m)。日高での入門クラスの山として、あるいは山頂から眺めるポロシリ岳、十勝連峰と十勝平野、その向こうにポツンと浮かぶ阿寒岳の大展望を求めて、多くの登山者を惹きつけてきました。
この山の頂上に、みなさんが使う地形図を作るための一等三角点が選定されたのが今からちょうど100年前、1900年(明治33年)7月6日でした。実際の測量は、その翌年から明治38年にかけて行われています。
"三角点の戸籍謄本"と呼ばれる「点の記」によると、芽室岳はメモロ岳になっています。これは、芽室岳の名がもともとアイヌ語のメモロペツ(湧水池より流れくる川)からきたためです。
この当時、鉄道はまだ日高の山を越えておらず、重い器材を担ぎ上げて測量をしていたのです。
芽室岳を共有する3町(芽室町、清水町、日高町)のうち、日高町に開拓のくわが入ったのは測量後の1905年(明治38年)のことです。芽室岳がスポーツ登山として初登頂されたのは、さらに後の1923年(大正12年)のことでした。
開拓初期に行われた測量はその後も大きな影響を与え、現在でも、それをもとに道路を作ったり、登山や釣りをする手助けをしてくれたりと、大いに役立っています。
この機会に、ぜひみなさんも測量や地形図のことを知ってください。
主催 日高山脈館
後援 建設省国土地理院 北海道測量部
2000年4月30日(日曜日)に、測量100年を記念して芽室岳登山が行われました。
参加したのは、日高側のいろいろな人々・日本山岳会をはじめとする山の会の人々です。
「十勝側と日高側両方からアプローチして山頂で落ち合おう」と、雪の残る4月末に登る計画が立てられました。
雪の残るシーズンが選ばれたわけは・・・
芽室岳の登山道は清水町から伸びています。日高側からの夏道はないので、無理に登るとブッシュ漕ぎでひどく苦労することになります。雪が残るシーズンであれば、植物にそれほど阻まれずに登ることができます。
しかし、昨冬はあまりに雪が多かったために日高側林道が雪崩で通行できず、結局みんなで芽室側から登りました。
100年前に調査隊が登ったのも十勝側からでした。
* 国土地理院からの借用資料
** 日高山脈館資料(昨年度国土地理院より寄贈)
一等三角点「芽室岳」は、明治33年(1900年)7月6日に陸地測量手の正木照信によって設置場所が選定され、今年で100年を迎えます。
明治時代の点の記には、三角点の場合は点の所在地とその土地の所有者、選点・標石埋定・測標(測量用やぐらで、昔は貼標と呼んでいた)建設・測量観測などの年月日やその作業を行った人の名前のほか、その三角点に至る道順、人夫雇用・給料、資材運搬、宿泊の方法、案内人の情報、飲料水の場所などを記録したもので、当時の測量の苦労を偲ぶことができます。
また、点の記はいわば三角点の戸籍謄本のようなもので、全国の点の記の記録はすべて国土地理院に永久保存されています。
日本列島の測量網の骨格をなす一等三角点網は、全国均等に約45 km間隔で配置された一等三角点約350点からなっています。また、約25 km間隔で配置された一等三角補点や約8 km間隔の二等三角点の位置は、一等三角点の位置を基準にして決められています。
同様に約4 km間隔の三等三角点の位置は、一等及び二等三角点などの位置を基準に順次決められています。
三角点網図には、三角点の位置、視通線とその観測方向、平均計算の順序などが記入されています。